STORY

ブランドストーリー

誰もがしないことをやり続ければ、
独自の道が切り拓ける。

  • 1952年、ヒロキは横須賀で産声をあげた

    時は戦後の復興期、小さな洋装店からの出発であった。店舗も狭いため、売れては東京の問屋に仕入れに行くということを繰り返す日々で、なかには一日に二往復する日もあった。それでも近隣で働くお客さまに評判が良く、忙しくも楽しい時代だった。

  • 今思えば、逆境がヒロキを成長させた

    その後、取扱商品を変えながら、経済成長に伴い店舗数は9店舗までに拡大し、売上も順調に伸びていった。
    当時のヒロキは他社(メーカーや問屋)が作ったものを仕入れる「他力本願的」な経営であったに他ならない。
    問屋というのは小規模の小売店にとって必要不可欠な取引先で、季節が変われば、それに合った商品を薦めてくれる頼もしい存在である。小売店は、その中から選んで仕入れるだけで商売が成り立っていた。
    しかし、それに頼りながらも順調だった商売は、ライバルの出現と国内のメーカーや問屋が激減したことで一転する。
    販売面と仕入面の両方から打撃を受けた結果、いよいよ、「廃業か?業種転換か?」の決断を迫られることとなる。

  • 原点に立ち返り、本業周辺をゼロから見直してみた

    兎にも角にも打開策を模索した。
    「メインの衣料は、国内での仕入れが無理となれば自社で製造するか?」
    しかし、それは問屋が潰れる時代だから今更無理であろう。
    ならば、「海外からの仕入れをあてにするか?」
    しかし、欧米商品ではデザインは良いが体型の違いが激しく、さらにレディスでは胸幅と背幅が正反対、首の付け位置の違いも大きく、許しがたき問題であり、理想から外れた商品は信用を無くすと判断した。
    他に案も無く、まさに、八方塞がり、唸るほどの黙考を繰り返した。
    そのさなか、ふと見渡してみると、たとえ八方を塞がれても、頭上が空いていること、さらには足元を掘り下げれば、決して楽ではないが、そこに違う道が存在することに気付いた。
    同時に、世間に無い商品(デザインではなく、コンセプトや素材)なら大きな武器になることを確信した。

  • ヒロキの魂に火をつけた「エチオピアシープ」、しかし

    極薄で超軽量、にも関わらず超丈夫な「手袋用の最高級素材」“エチオピアシープ”。
    これで衣料を作ったら、皆が驚くような、どこにもない商品ができる。エチオピアシープなら、今までの価値観を覆すほどのインパクトを世間に与えられる。この素材を安定的に入手できれば起死回生の一手である。
    そう確信した私たちは、アジアの材料展示会にあたりをつけ、エチオピアシープレザーの入手に奔走した。
    しかし、〝そうは問屋が卸さない″。出展していたタンナリー(革なめし業者)のどこもが、「衣料用に開発するのは無理」と、通り一辺倒の答え。
    それでも何とか一社がトライしてくれることになり、その素材を中国のとある工場に送り、衣料品にまで仕上げたが、それはお世辞にも良い製品とはいえず、残念な商品であった。
    理由は、引っ張りが縦横混在しており、さらには革を裁断しやすいように固く加工されており、エチオピアシープの柔らかさが消え去って、しかも縫製はガタガタであったからである。
    (※革は面積を大きくするため、伸ばしやすい横方向に引っ張る。しかし、衣料品は長いパーツを多く使用するため、あらかじめ縦に引っ張っておく必要があり、そうしないと重力で型崩れが起きやすい)

  • 我々は今度こそ、心底悟った

    「他人に任せて、それを評価しているようでは、今までと大した違いがないではないか。ならば直接、原産国のエチオピアで、ヒロキの求める素材を現地のタンナリーと開発しよう」
    私たちは、エチオピアに単身乗り込み、タンナリーに「この世界一の羊革で、世界一の衣料を作りたい」と、熱い思いを伝えた。しかし、なかなか協力してもらえない。
    「そうか」、この地まで来て、ようやく理解した。
    実は、原産国のタンナリーこそ、世界の材料商の依頼のままに作業しているため、やりなれていない依頼を受けることはしない。また、原材料製造は、失敗を下の会社に責任転嫁できないため、冒険を避けるのは必然であった。
    さらには、物理的にできたとしても、いつものルーティンワークを変更することに抵抗があるようであった。
    しかし、エチオピアシープに賭ける情熱を、先方の社長、工場長、現場の職人といったすべての人にヒロキの要望を話し理解してもらうと、なんとかヒロキの熱意は伝わり、夢と理想の実現は思いのほか近いものとなり、最高の材料を手に入れた。
    さあ、次に考えなければいけないのは「この素材で、だれが服を作るのか」である。

  • たった2店舗の小売屋が海外に工場を

    前回のような失敗はしたくない。だから、なぜ諸外国の工場ではうまくいかなかったのかを考えてみた。
    あくまでも一般論であり、すべてがそうであるとは限らないことを前提に論ずれば、皮革衣料縫製工場は、スピード大量生産が基本。
    季節により忙暇の差があり、従業員は繁忙期のみ雇われた季節労働者が多い。
    工場の優先順位は、工賃、納期、速さ、コスト削減であり、手抜きは当たり前。さらに、作業効率を上げるため、柔らかい最高の材料を濡らして板に張りつけ堅く大きくしてから作業する。結果、素材感は地に落ち、本末転倒となる。しかも、社長をはじめ工場長、職人にいたるまで良い物を知らないから、当然良いものづくりの精神の欠片も無い。おまけに、社長の経営理念は利益追求のみで従業員の労働環境は良くないとくれば、良い物を作ってほしいと期待する方が間違いであることが判明。
    ならば、自社工場を設立しよう。現地の常識や習慣にとらわれず、自分たちが「良し」とする理想の工場を。そして、自分たちが満足いく製品を作ろうと決意を固くした。

  • 「世界に誇るヒロキオリジナル」の誕生

    ところで、究極の薄さと柔らかさを持つ最上級素材「エチオピアシープ」。
    実は、それゆえに裁断も縫製においても非常に手間がかかる。
    到底、一般皮革の裁断・縫製技法では満足のいく結果は難しい。
    しかし、私たちの情熱はこれらさえも乗り越え、独自の技術を確立した。
    ここに、究極の素材と究極の技術が融合し「世界に誇るヒロキオリジナル」が誕生した。

  • ものづくりの原点

    ヒロキの工場は、効率最優先のライン生産とは真逆の一人一着責任縫製。最初から最後まで作り上げることで、仕事に愛情がわき、喜びが生まれる。そしてまた、さらなる向上へつながる。これこそ良いものづくりの原点であり、その環境こそが製品を一流へと導く。その考えのもと中国現地法人名は「北京福創服飾」とした。
    人件費の低い国は、物を安く作れるのではない、良品作りのために時間をかけられる国なのである。

  • 街の小売屋が成した価値革命

    また、ヒロキでは、「天然は長所も短所も併せ持つ、塗り隠さないから現れる天然の魅力」というスローガンを掲げ、傷や色ムラは天然の証とし、それを凌駕するしっとりとした手触りと深みのある色つやを追求。なお、一般流通ではそれらを顔料で塗り隠した、均一の素材が無難とされているが、天然の持つ触感や色つやを大切にしているヒロキの革は、革に詳しくない人でも「良い革」だと分かる程に格が違うと、お客さまに評価を頂けるようになった。

    小売屋の枠を飛び越えて、苦しみ、そして成した理想はお客さまに大変喜ばれている。